とび色の誘惑

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【戦前小型印】国民防空展覧会記念(昭和13年)

   

国民防空展覧会記念の小型印

「国民防空展覧会」は、国民の防空意識向上、戦意高揚などを目的に、全国各地で開催されました。爆弾や焼夷弾の基礎知識から、灯火管制や防火、防毒の実施方法まで広く啓蒙するものだったようです。

空襲!この言葉は防空演習では聞かれるが実際には未だ一度も我国民は経験がない。有史以来ただの一度も国土を侵されたことのない我国民にとっては空襲と云っても直ぐにピンと来ない。当局が展覧会に、パンフレットに防空知識、防空精神の涵養に大童であるのにも拘らず唯おそれてばかり居たり、或はなアに大丈夫さと多寡を括って居る者が未だ多いのは甚だ遺憾である。

「防空精神の確立 空襲時に対する心得」(国民新聞,1939年5月18日)

幸いにして我帝国は未だ曾て、その領土を敵に委ねたることなく、従って一般国民は戦禍の実際を知るに由なく、既に数回に亘って行われた東京市其他各地の防空演習に於ても一般民衆の関心、頗る希薄にして最新化学戦に備うるには余りにも寒心に堪えぬものがある。

野口啓助『国民防毒読本 備へよ空襲』(大日本国防化学研究所,1938)

1942(昭和17)年4月18日、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸などの都市が米軍機による爆撃を受けました。これが日本本土に対する初めての空襲で、作戦を指揮した人物の名前をとって「ドーリットル空襲」と呼ばれています。

それまで、日本本土は一度も空爆されたことがありませんでした。そのため、国民の「防空」に対する関心は比較的薄かったといいます。政府はそうした国民に対し、防空精神を植え付けようと躍起になっていたのです。

現在(いま)は真(しん)に重大な時局(とき)である。

列強と開戦すれば空襲は必ず受けるものと覚悟しなければならない。然し予想される空襲の程度を知った上で、十分の準備をし、訓練を重ね、備えさえあれば空襲は決して恐れるに足りない。

『時局防空必携』(各省、企画院、防衛総司令部,1941)

1937(昭和12)年に施行された防空法などによって、空襲時には逃げずに火を消すことが義務付けられていました。これが後に空襲の被害者を増やした大きな原因になったと言われていますが、もし消火にあたらず逃げれば非国民。町会から除名され、配給物資を止められます。そのような、なかば脅迫状態での「防空」だったのです。

命を守るよりもお国のためを優先する、そうした考え方が普通だとされていた時代でした。

国民防空展覧会記念の小型印(岡山)【記念名】国民防空展覧会記念(小型印)
【使用局】岡山局会場内臨時出張所
【押印日】昭和13年11月15日
【図案】国民防空展覧会に因み、防護団員と飛行機および高射砲を描く。

防護団(民間の防空組織)員が付けているのは、防毒マスクです。当時、空襲で毒ガス弾が使用されることも前提として教育や訓練が行われていました。

国民防空展覧会記念の小型印(名古屋)【記念名】国民防空展覧会記念
【使用局】名古屋局会場内臨時出張所
【押印日】昭和13年10月9日
【図案】国民防空展覧会に因み、防護団の活動の模様を描き、飛行機を配す。

防毒マスクを付けた防護団員がバケツを手に消火活動をしている様子が描かれています。絵のタッチのせいか、何となくユーモラスな姿に見えてしまうのです。

国民防空展覧会記念の小型印(福岡)【記念名】国民防空展覧会記念
【使用局】博多局、福岡局(表示:福岡)
【押印日】昭和13年9月21日
【図案】国民防空展覧会に因み、市街を遠景に聴音機と飛行機を描く。

聴音機は、敵機の爆音を集音して、その位置や高度などを割り出すために使用した兵器。なんともアナログな方法ですが、これでどの程度役に立ったのでしょうか。

国民防空展覧会記念の小型印(広島)【記念名】国民防空展覧会記念
【使用局】広島局、広島駅前局、宇品局(表示:広島)
【押印日】昭和13年10月25日
【図案】国民防空展覧会に因み、高射砲と聴音機及びこれらを操作する兵を描き、爆撃機を配す。
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